fuzz fuzz fuzz #002 Effector 13 Soda Meiser

ファズにのめり込む前は、よくあるように強烈に歪むディストーションとかそういうのを探し求めていた。宅録ばっかりだったから余計に。真空管が入ってるとかそんなの。いま処分しているところだけれども、いくつ残るかな。


その頃から日本には一台もないようなブツを物色すべくeBayを彷徨っていた。Effector 13(以下e13と略す)を知ったのもその頃だった。


なんか、百ドル以下で妙にそそるファズがあった。音のサンプルがあったかどうか覚えていない。でもとにかく安かった。安くてどこかあやしげ、というのは比較的「当たり」の確率が高い。この場合の「当たり」とは、ジミヘンの音がするとかそういうのじゃなくて、いままでに誰も聴いたことのないような音がする、というような意味においてだ。


無理をしてとんでもない時刻に起きて気合いで落札したような気がする。この前の段階のロットもあったらしいが、たぶん最初の完成型。


当時ギターは弾くものではなく、完全にコントローラーだったのだが、届いてきたSoda Meiserにギターを繋いで音を出してみると! ノーマルモードではウルトラハイゲインファズで、これだけでももう十分だったのだが、カオスモードにすると完全に新しい世界が開けた。発振するし。


ギターなんて弾かなくていいじゃん。


真面目にそう思った。そして、e13のSoda Meiserがわたしの中でのファズの標準となった。マフでもファズフェイスでもトーンベンダーでもオクタビアでもなかったのだ。


最近、ギターを演奏するユニットを組んで、相方の足を大いに引っ張っている。頑張って練習しているし、ある程度弾けるようになるだろうけど、どこまでいっても、わたしにとってギターはコントローラーでしかない。バンドみたいなことをやっていてもね。言わないけど、これは譲れない。最初にファズありきなのだ。


轟音ユニットなので、いろいろなギターや機材を試しているのだが、よい機会なのでSoda Meiserを試してみることにした。


一度でOKがでた。グライコとの組み合わせだが。グライコは便利だよ。いくつあってもいいと思ってる。ただ、組で使うので、ループを組まないと苦しい。BOSSのグライコを使っているが、スイッチの形がぜんぜん違うわけで、よく踏み損ねる。これは何とかしないとね。ループボックス作るかな。


これも有名なファズなので、YouTubeなんかに音源はごろごろしているんじゃなかろうか。捜してみてください。
 
 

fuzz fuzz fuzz #001 ZOOM UF-01

以下の括弧でくくったような内容で書き始めたら恐ろしく食い付きが悪かったので、タイトルも目的も変えます。このシリーズは過去および現在持っているファズ居付いて。

(しばらく機材について何も書いていなかったので、何を書こうかと思って、もう手元にはない機材というのはどうかということで行こうかなと思います。


諸般の事情から写真などは残っていたりするので、それとなく加工して載せたり。まともな写真や機材に関する情報はネットで探してね。)


さて、ZOOMといえば安物、というイメージがなんとなく定着しているような気がしますが、実にまっとうなアルミダイキャスト製のペダルを作っていたことがありました。4種類。オーバードライブとディストーションとファズとなんだっけ? まあそんなのでした。


わたしが持っていたのはファズ。ファズマニアですから。UF-01。ウルトラ・ファズということだったかと思います。どこがどうウルトラなのかはよく分かりません。


Z.VEXのFuzz Factoryのパクリだと言われたりもしましたが、向こうはノブが5個、こちらは6個。あと、向こうはゲルマニウムトランジスタが売りですが、こちらの中身は不明です。開けたことはありませんでした。


確か新品の最後の一個、みたいなことで買ったのだったと思います。使ってみるとまあそれなりに面白いし、使い込めばきっといろいろなことができるのでしょうけど、Fuzz Factoryをその後手に入れて、キャラ的にかぶるものが多すぎて手放してしまいました。コレクションしているものは別ですが、そうでない場合誰か使う人の手に渡る方がよいですから。


ではいまFuzz Factoryを使っているかといえば、使ってませんね。どうしたものでしょうか。手放しのもちょっと惜しいし(世界に10台しかないバージョン)、やっぱりときどき使ってあげましょう。ガリなんか出たら可哀想です。


Fuzz Factoryの話になってしまいましたが、UF-01も決してひけを取るような機種ではありませんでした。ただ、キャラとしてはこちらの方が少し繊細かもしれません。どちらがいいというものではなく、趣味の問題でありましょう。


声は上がっているようですが、ZOOMにはまたこの手の機種を作ってもらいたいものです。YAMAHAと同じで、生産終了になると「伝説の名機」みたいに言われる嫌いがあるようです。いや、この4つの機種だけか。それ以外のマルチなどの機種も悪くないんですけどね。使い方が悪いんですよ。
 
 

ハロー、ハロー、ハロゥー!


ここひと月くらいは最低の日々だったかもしれない。おかげで病気が悪化した。社会復帰は今のところ無理。自覚している以上に重症なのではないのか? そんな日々でも多少は何かしていた。たとえばこんなのに参加していた。

シンポジウム「尾崎翠の新世紀―第七官界への招待―」

内容は以下の通り(コピペ)。

日時:平成21(2009)年3月27日(金)、28日(土)
会場:日本近代文学館・講堂
主催:「尾崎翠の新世紀」実行委員会、鳥取県
協賛:財団法人日本近代文学館、株式会社筑摩書房

3月27日(金)
13:00 開会挨拶
13:15- 【講演】川上未映子氏(作家)
15:00- 【朗読】澤登翠氏(活動弁士
      「朗読『アップルパイの午後』」
      ギター伴奏:湯浅ジョウイチ氏

3月28日(土)
10:00- 【上映】映画「こほろぎ嬢」
      (原作:尾崎翠「歩行」「地下室アントンの夜」「こほろぎ嬢」)
      浜野佐知監督トーク
13:00- 【講演】池内紀氏(ドイツ文学者、エッセイスト)
14:45- 【パネルディスカッション】
      司会:菅聡子氏(お茶の水女子大学教授)
      パネリスト:
      吉野朔実氏(漫画家)
      高原英理氏(作家・評論家)
      木村紅美氏(作家)


体力的にすべて参加することはできなかったが、虫食い状に顔を出させていただいた。なかなかの盛況。未映子さんの講演に人が集まるであろうことは予想されたが、二日目も盛況でとてもよかった。尾崎翠という作家を知らない方は、ぜひ読んでみて欲しいです。検索すればwikiにでも情報があるでしょう。手軽に読むなら『尾崎翠(ちくま日本文学004)』でしょう。


ちなみに今日の日記のトップの「ハロー」は浜野監督の「こほろぎ嬢」を見ればわかります。最近未映子さんが多用してますが、やっぱりここから取ってるんじゃないのかなって勝手に思っています。


このシンポジウムについて詳しく知りたい方は、検索すればどなたか書いてらっしゃると思われるので、それを期待してわたしは面倒なので何も書きません。あ、そういえば二日間とも寒かったです。特に二日目は真冬のように。それでも桜が咲いていました。日本近代文学館駒場公園の中にあり、この公園自体前田侯爵(だっけ?)の屋敷跡だったりします。屋敷は洋館と和館があって、土日祝日などに無料で見学できます。和館は「裸足禁止」とか書いてあったので、どうやったら見学できるのか不明です。これから梅雨までの季節の散歩にお勧めの場所でもあります。近所には日本民芸館や、渋谷方面に足を伸ばせば少し遠いですが松濤美術館などもあります。

オフィーリアの歌を辿って・・・イギリスバロック狂乱歌の歴史 〜ヘンデル没後250 年・パーセル生誕350周年記念〜

それからこんなのに行ってきました。レクチャー・コンサート

4月16日 19時 東京オペラシティ近江楽堂
雑歌屋1789 構成・解説 松本直美、声楽 戸田昭子、チェンバロ長崎美穂子

『狂乱のオルランド』ってよくあちこちで目にしますが(しませんか?)、イタリアでそれが書かれてイギリスに輸入されるまでの経緯とか、「狂乱」といえばドニゼッティ(変換されないよ! マイナーなのか?)の「ランメルモールのルチア」(Lammermoorはどう表記したらいいのでしょうね?)が有名でありますが、それ以前、17・18世紀あたりは最初狂乱するのは男だったとか、非常に興味深いことから語られ始めます。そして素晴らしいチェンバロの演奏と、歌。そんなに広い会場ではなかったのですが、歌が会場全体を包み込むように美しく響いて至福の時でした。内容はその後ハムレットのオフィーリアなどの女の狂乱歌などに移り、非常に濃い内容でした。ただ残念ながら詳しく書くだけの知識がわたしに不足しているのと、いま現在もパワー不足なのでどこに足を運んだか、という報告だけにさせていただきます。



ほんとうはこれ以外に足を運びたいライブやイベントがたくさんあったのですが、心神耗弱状態および経済的逼迫状態(前者は幾分落ち着いていますが後者は絶賛継続中)に陥ったりしていて、断念しなくてはならなかったりしたのでした。

The Night Strange 32nd @URGA

ということでノイズ系のライヴに足を運んでみました。年末にも行ったので、二度目? からだが元気だったらもっといろいろ見に行けるのに。


・Emotional Ticon

 男女四人編成。フロント二人の女性が叫ぶ。バック二人の男性がノイズを発生、というのが基本みたいだけど、実際には非常にフレキシブル。ピアニカが登場したり全員がベース持ったり、いろいろ。前回見たのがなんつーか破壊・パンク系、すなわち衝動を衝動としてぶつけるタイプが多かったのにたいして、このバンドはまたちょっと位相が違うのであった。よい意味でとても計算されていて、よかった。


・マスクド・ダイオウド

 ボーカルとギターの二人の編成。ボーカルはシャウト!! ギターは爆音なのだけど非常に繊細な音を奏でる。ボーカルの人が破壊系のようだけど、実はもう少し繊細だ。繊細と書くと嫌われるかもしれないが、どんなに破壊的であろうとも出音を大切にする人は常に繊細だ。言い換えれば、パフォーマーというよりも演奏者、ということだ。


・ANALOG SUCIDE

 イスタンブールからやってきたノイジシャン。一人。たぶん4組の中では機材はいちばん少なかったと思う。でも出音はすごいのだった。圧倒的な音の洪水。何も考えずにただただ埋もれているだけで気持ちよい感じ。パフォーマー的な部分は皆無。でも音のテクスチャーに対するこだわりはすごい。もしかしたらいちばんエモーショナルな演奏をしていたかもしれない。最後はバサッと音を気って終了。かっこいい!


・MOLESTER

 ネクタイを短く締めて、頭にストッキング被って登場。見た目が怖いw 一人。機材は膨大。雨が降ったらどうするのだろう……アナログシンセまで置いてあった。爆音を出しまくっていて、鎖を振り回したり、コンタクトマイク系のものを叩いたり、微妙にパフォーマー指向。でも基本的には音を追求。マイクロフォンも遣ってシャウト。でも途中でトラブルがあったみたいでそれが残念。でも音が出続けているので、それでもカッコいいのではあった。


 という感じだったのだけど、前回とは違った意味ですごいなあと。いろいろなやり方があると思うけど、個人的には破壊系はちょっと苦手かもしれないと思った。そういう意味でのフィジカルな体験をしたいのではなく、黙って音が聴きたいのだ。コンサートホールのような場所で、椅子に座って聴くほうがよいのではないかとさえ思ったりしている(そこまでしちゃうと詰まらないかもだけど)。


 ノイズ系はほんと聴き始めたばかりなのだけれども、なかなか奥が深くて面白いかもしれないと思ったりするのでありました。わたしもノイズ系やってるわけだけど、前回と今回のライヴを見て、まだまだだな、というか、ライヴをできるような方法論を作り出す必要があるなと思った。あとは、どうやったらライブに出られるか、だ。デモ盤作って名刺代わりに配るか。


 ほんとは誰かと組んでやりたいのだけど、ひとりでやる方が向いているかもしれない。
 
 

間が開いた


こぐまレンサ」についてもう少し書くはずだったのだが、あれを書いてから(書く前からだが)怒濤のようにいろいろな問題が発生し、書くだけのパワーがなくなってしまった。今月いっぱいはとてもじゃないけどあの作品に対峙するだけの心身の余裕がないので、残念だけど、あそこまで、ということになってしまった。


本当はあの先を書かなければ、何も書かないのと同じなのだけれども。どうしてこれほどいろいろなトラブルその他に見舞われるかな、という現状では致し方ない。


何も書かないのもなんなので、最近読んだまんがをいくつか。

ご存じの方も多いかと思うけど、なぜかイエスブッダが立川の安アパートで地上のバカンスを楽しむというまんが。絶妙なゆるいギャグが、地上で苦悶しているわたくしのような存在を救済してくれる。さすが宗教界の最強タッグ。すぐに修行モードに入っちゃうブッダ、ブロガーのイエス。男二人暮らしのわりにはBLっぽくはない。聖人ゆえかw

これもご存じの方が多いと思われる。すでに6巻まで出ているし、アニメにもなっている。『百鬼夜行抄』と微妙に似ているが、ベクトルが少し違うかも。1巻しか読んでいないけど、こちらの方が「優しい」気持ちで読めるかもしれない。「優しい」といっても微妙なのだけど。とにかくもう少し読んでみないとなのです。

既刊を2巻ずつひとまとめにして刊行し直したもの。ただいま6巻まで。間もなく7巻発売。全10巻。本の一瞬、「文化系女子」ということばがまともに流通していた頃に、ユリイカの特集で吉田アミさんによって紹介されていた。その文脈としてもだけど、それ以外の文脈としてもこれほど優れた作品は滅多にない、というほどの傑作。「魔本」によって女にされてしまった主人公が二つの性別の間を翻弄されながら最初から最後まで疾走する姿は見事としか言いようがない。スペシャルではない20巻のほうも持っていて、何度読み返したかわからないし、何度読み返しても何か発見がある。スペシャルでは紙質がよいので、細かい線やトーンも見分けられる。それがいいことかどうかは読み手の判断次第だろうが、わたしにとってはそれによって新たな発見がいくつもあったのでとても嬉しい。このまんがの存在を教えてもらったことだけでも吉田アミさんにはいくら感謝しても感謝し切れない。なお、外伝が存在するのだが、おそらくは今回も収録されないのだろうな。されるといいのだけど。


あとはもっと前に読んだ弐瓶勉BLAME!』も面白かったけど、あれを読んだのは去年のことなので。弐瓶勉はもう少し読んでみたい。中村光もほかにあるので、そっちも読んでみたい。金がないけどな……近所にブックオフがないのって、どうしようもないよね。古本屋も、無いといっても過言ではない。
 
 

about こぐまレンサ part 3

生きているといろいろなことがあって、この続きを書きたい、書かなきゃと思いながらもからだ壊したりからだ壊したりからだ壊したり思いがけないことがさらに重なり、数日前からようやく再読、夕べ読み終えた。


泣けました。一度目はなんというか打ちのめされたのだけど、二度目は泣けました。泣けましたって書くとばかっぽいけど、ばかだからいいのです。もう自分を取り繕っても仕方のないところにまで来てしまったのです。


別な言い方をすれば、歳を取ったということ。


さて、前回の予告で「いくつかの反復するイメージ」というようなことを書いたのだけど、再読するとたぶん読み切れていない分も含めて、蜘蛛の巣のようにいろいろなイメージが絡み合っていて、もし本当にきちんと読むならば、チチェ語をある程度解読もしくは再構築しなくてはならないだろうし、年表みたいなものを作らねばならないだろうと思う。年表は必須かもしれない。


でも今回は敢えてそのどちらもしない。ひとつにはわたしの体力的な問題があり、もうひとつは、それはわたしの仕事ではないと思うからだ。


以下、ネタバレするので注意されたし。


前回念頭に置いていた「反復するイメージ」とは、誰かが車の前に飛び出す、というものだ。再読したら、それは三箇所しかなかった。もっと多いような気がしていたのに。


ひとつめは、「Sight4 蛙の肉」。ナルシストで何人も女がいるような美形の青年に不細工な少女が恋をするというもの。青年は鏡のような光を反射するものを見るたびに自分の姿を確認する作業をやめられない。セックスしているときでさえ(当然相手の女は怒る:「自分とHしてるんじゃないんだからさー!」)。


醜形の少女は青年につきまとったあげく、路上の蛙を潰した足で思い切り蹴られる。そこへコグマが現れ、潰れた蛙を見て路上に座り込んでいた少に、「こわれる前は美しかったか!? 見にくかったか!?」と尋ねるが、少女は答えるどころではない。コグマはそういうことが分からないのでけちんぼといって立ち去る。


少女はカフェでアルバイトをするようになった。最初は接客をしていたが、時給を上げられ、奥の仕事に回される。そこで丹念にスプーンを磨き上げる。アルバイト仲間からはろくな噂をされない。


そこへあの美形の青年が彼女を連れてやってくる。少女は突然厨房を出て、彼らのいるテーブルに料理を運ぶ。本来彼が食べるはずだったスパゲティは、彼が拒否することによって彼女が食べることになる。彼は彼女が食べるところを見るのだが、些細なところに醜さを見出してしまい、耐え難くなる。


そのときテーブルに置かれたスプーンに目が留まる。醜形の少女が磨き上げたスプーンだ。当然なんでもよく写る。いつもの癖で青年はスプーンを手に持ち自分の顔を映す。


しかしそこに映ったのは彼としてはあり得ないほどの歪んだ彼の顔だった。スプーンは平面ではないのだから当然なのだが、彼はそれに衝撃を受ける、というよりもあり得ないものを見てしまったのだ。驚愕して立ち上がるが、そこはテラス席で、垣根を越えて車道に転げ出てしまう。そこへタンクローリーが――


醜形の少女は押しつぶされた彼の姿を見てこう呟く。「なーんだ、潰れちゃったらそんなに変わらないのね 蛙も拓美くんも……」(「拓美」とは何とも皮肉な名前だ)。


二番目は、と言いたいところだけど、今日はここまで。
 
 

about こぐまレンサ part 2


前回の記事を書いてからいろいろあって、間が開いてしまいました。いま現在疲労困憊しています。のであんまりたくさんは書けないと思います。


前回の記事にはとんでもない失敗があって、あれだとまるで師匠と仰ぐ吉田アミさんが解説まで書いたまんがを読んで後悔した、とも取られかねない書き方をしてしまったが、決してそういうことではない。


先に書いておくけど、『こぐまレンサ』を読んで、わたしはとても感動してしまったのだ、わかりやすくいえば。ただその強度が強すぎて、なかなか再読できないでいるということなのだ。重いとか軽いとか優しいとか優しくないとかも関係するかもしれないけど、すごく面白くて感動して(「感動」ってことばは誤解を生みやすいけど、たとえばわたしは『課長バカ一代』を読んでも「感動」してしまったのだ。そういう意味での「感動」)、それでも箱から取り出して1ページ目から再読するだけのパワーが、いまのわたしにはない。


ということで、今回は予告編。


・いくつかの反復するイメージの問題
・こぐまの存在のあり方


この二つについて述べたいと思うのだが、ネットの片隅にこんなことを書いておいて何かの役に立つのか? と思い始めると何も書けなくなるので、備忘録と、もうひとつは「ネット上には少しでもリソースが多い方がいい」と思っているのでそれを実践するということでいいことにしたい。


あ〜〜〜〜〜疲れてる。