「薔薇を生む、わたし。薔薇を愛でる、あなた。」さらに追加。


しつこいといわれようと、あの場所で手に入れたものは非常に壊れやすくてもしかしたら私以外の誰にも見えなかったものかもしれないので(傲慢だけど、いいのです)、徹底的にこだわるのです。


丑三つ時を過ぎた時刻なので頭は冴え渡っているようで半分死んでいますが、観客である私も薔薇を生んでいたのであり、同時に薔薇を愛でていたのであります。よく分からない人はスルーしてください。


未映子さんが「純粋悲性批判」で書いてらっしゃるのは未映子さんの見ていたもの。でも、私は違うものを見ていたのです。


それが何であるのかはうまく言えないのですが、ものすごく乱暴ないい方をすれば、プロもアマも薔薇を生む人も愛でる人も一緒くたになった、ごった煮の状態で、確かに何かが起こっていたのです。他の人は分かりませんが、少なくとも私には起こっていました。それはフラットな空間(必ずしもそうではないのだけど、いいことばが思いつきません。LSDというゲームにでてくるような空間です)というか、ドゥルーズ=ガタリノマド的にその空間を彷徨っていたような快感なのです。


少なくとも私は薔薇の花弁が舞うのを見ていました。一期一会。失敗も成功もないのです。少なくとも私にとっては。