『薔薇を生む、わたし。薔薇を愛でる、あなた。』 vol.2


以下はアンケートに回答したものを一部修正したものです。


さて、今回は場所を高円寺・円盤に移し、25人と少人数でしたが、ひとことで印象を述べるなら、前回がまさにトークショーであったのに対して、今回は客席がトークしている人たちの隣にまであるという、なんというか、「寄り合い」みたいな感じでありました。


緊張感というのは広い場所と狭い場所とでは違うと思うのですが、今回は後者であり、サークルの集会か大学のゼミみたいな、そんな微妙な緊張感が漲っていたのですが、普通それを緊張感とはいわず、「ざっくばらん」みたいな表現をすると思うのですが、わたしはそれを「緊張感」と呼びたいと思います。


告知にはなかったのですが、吉田アミさんがヴォイス・トレーニングを始めたので、かなり嬉しくなりました。


で、人々もだいたい集まってきて、吉田さんが始めたいと言いだしたのでなんとなくライヴが始まったのでした。


責任持てませんが、吉田さんのヴォイスは、たとえば千人入るホールよりも、ああいう狭い場所のほうが合っているようにおもえました。大きくてアップリンクくらいまで。わたしは密かに背後の電車の音とのセッションも楽しんでいました(いいのか?)。


今回の方が、上記の理由からもいいパフォーマンスだったと思います(偉そうでごめんなさい)。


それから未映子さんの朗読(どうしても歌に聞こえてしまうのですが)。バックを吉田さんがサンプラーのループを流しながら(あれのフィードバックってどうやるんだろう? にしてもカリドルに憧れてSP808EXを手に入れたわたしの立場は……使えばいいんだけどさ。今度カリドルのライヴに持っていってサインして貰おう。図々しい? でも世界で一台のカリドルシグネチャー・モデルだよ!)。前回のチェロもよかったけど、今回のもよかったです。


未映子+Asian Beauty というのも聴いてみたい気が。


で、そこから先はゲストを挟んでのトライアスロントーク・ショー。なぜかしらんけど、前回よりも時間の進行が1.7倍くらい早く感じました。


最初が加野瀬さん。わたしと同じくパソコン通信時代から電脳化していた方。もっともわたくしの方はパソコン通信衰退期からなのだけど。


……なんかすごく多岐に渡って話をされていたので、詳しく覚えていない。でも、これからネットを始める人にはある種のネット教習みたいなものが必要というのには強く共感。SNSから始めるというのにも。パソコン通信も閉じていたわけなのだけど、最初はそこから始めたほうがいいと、経験的に思う。もっともここ最近mixiではスパムトピ業者が跳梁跋扈しているので、管理者は大変だろうなと。


で、加野瀬さんのおっしゃっていたように、ROM期間を設けるとか。そういうのはSNSの側から提案した方がよいのではないかと思う。マルチポストとかトピ乱立させないとか。教育が必要。


で、次がばるぼらさん。そう、ばるぼらさんがあまりにキュートに登場しちゃったので加野瀬さんの結構重要な部分のメモリがとんでしまったのでした。おそるべし。ばるぼらさんには薔薇の花束が届いていて、誰か記念写真を撮って差し上げたのだろうか。薔薇の人、ばるぼらさん。


その薔薇の一輪がいまわたくしの家で乾燥させられている。ドライフラワーになるか?


そう、それでお宝雑誌とか持ってきてらしたのだけど、ああいう言及はされているけど誰も実物を読んだことがないというような(ジャンクな)雑誌というのは著作権クリアしてどこかで閲覧できるようにならないのだろうか。


そういえば、加野瀬さんもばるぼらさんもサブカルの人、という扱いを世間からは受けているようにわたしは感じているのだけど、サブカル、というくくり方は個人的には好きではなくて、むしろお二人のしていることはカルチュラルな活動以外の何ものでもなくて、ただそれがいわゆるメインストリームに乗っていないというだけの話だと思うのだ。


で、大蟻食閣下こと佐藤亜紀氏からぼろくそ言われている大塚英志が関わっている「文学フリマ」にばるぼらさんも参加されていたそうだが、そういうやり方なら、わたしも参加してみたい(声かけてくれた人だけに販売)。そう、何事もツールとしての割り切りが必要なのだ。わたしもまだまだだぜ。


まあ、クソマジメにしょーもないしょーせつとかきれいに製本して高値で売るなんてやり方は、なんつーか悲惨としかいいようがないものね。何がダメって、ユーモアが足りないんです。仮にも「文学」が付いてるのだから、ユーモアが不可欠なんです。ふざけるとかそういうんじゃないんです。まさにばるぼらさんのとった戦略がそれです。売ってたのも自販機カタログ(?)でしたし。「自販機」ってエロ本の自販機のことだったのですね。あとで人に教えてもらうまで話が見えてませんでした。


なんか脱線してしまいましたので、元に戻しますが、ばるぼらさんのことはあえて「現代の博物学者」と呼びたいと思います。本の出し方も、露出のされかたも、それから某物件に関して最終的には段ボール十二箱分の資料が送られてくるという話をされていたときの目の輝き。まさに博物学者です。絶対に「サブカルの」とは付けたくありません。


あ、別にサブカルにカテゴライズされているものが嫌いなのではなくて、「サブカル」というくくりが嫌いなだけです。誤解無きようお願いいたします。


で、最後に円盤の店長田口さん。円盤には何度か足を運んでいるので、今回ゲストにいらしていた方たちのことは全員以前にどこかでお目に掛かっていたりします。


あ、話が前後しますが、未映子さんがばるぼらさんに「LANのケーブルとか付いてそう」とおっしゃったのは妙にツボでした。


田口さんはCDショップあるいはレコード店→インディース→円盤という経歴をたどっていらしたということで、ある意味、その手の業界の表裏を見尽くしてきた方だと言えるでしょう。


最初ショップで働いていた頃はお通の客さんから逆に情報を仕入れていた、というのが印象的でした。ギヴ・アンド・テイク? それがとても面白かったとおっしゃっていたけど、確かにそうかも。情報は川のように流れるのではなく、ブラウン運動しなくちゃ面白くないと、わたしも思います。


で、そのあとインディースでもある程度固定化してしまうと詰まらなくなってしまって円盤へという流れなのですが、わたしも流動して生きてるのでその辺の感覚は共鳴できました。ある意味情報が止まってしまうんですよね。それが心地よい人もいるかもしれないけど、わたしもどちらかというと流動してしまう。わたしの本性はものすごく保守的で、同じ場所から動きたくないのですが、なぜかそれに逆らってしまうのです。


そこから「ムラ理論」へと話は続きます。沖縄では同じムラで歌のうまい人がいて、その人がレコードを出すと、じゃあ買うか、みたいな動きが本土復帰くらいまであったそうなんですが、いまみたいな誰にでも受け入れられるような音楽だけじゃなくて、ある「ムラ」(これは概念的なものですが、たとえば円盤みたいな店がハブになったりしているのかもしれません)がたくさんあって、みんなその中で活動すればいい、なぜならみんな音楽を聴く人は音楽もやっているから(拡大解釈すれば、カラオケだってそうかもしれない)。これにはかなりインスパイアされるものがありましたが、たとえばSNSなんかもハブにできるかもしれない。


ああ、吉田アミさんと未映子さんのことが全然書いてない。今回ナイスだと思ったのは、未映子さんがネットやいわゆるサブカルとはあまり縁のない人であるがゆえに、興味深い問いが出てきていたと思うのですよね。そこに吉田さんが巧くフォローを入れるという。


私自身はネットの人だけど、自分に興味のあることのツールとして、あるいは通信手段、あるいは日記を書いたりするだけの場所だったりして、なんか面白いものを積極的に探そうという気はあまりないのですよね。というか、自分の興味の範囲がとても狭いので。だからお二人の中間的な立場にいたと思うのですが、その視点から見ても、今回はなんていうか、お二人ともいい意味でお客さんに気を使ってなくて、最終的にはパリのカフェで学者と学生とその辺の人が議論をしたり聴衆だったりする開かれたサロン的な魅力に溢れていたと思います。いい意味で、輪郭が曖昧だったかなと。


にしても、未映子さんと吉田さんの出会いの場が円盤で、そのときの様子を吉田さんがしゃべってくれたのですが(そのときの様子は秘密)、たぶんそのときから何かが動き出しちゃったんだろうなと思ってます。


次回も期待しています。