ノイズ系は爆音でなくてはだめなのか?


これが最近の疑問。そりゃ、ハナタラシ(一度で変換されたよ……)とか非常階段とかその他伝説的ノイズユニットはそうだったし、今でも爆音ノイズは大好きだが、爆音にすると聴覚が鈍感になるわけで、それはそれで快感(耳にはダメージを与える可能性もあるが)なのは確か。わたしも好きだ。


でも、そうじゃなくてもいいんじゃないかと。ヒトの耳がじゅうぶんに音を聞き分けられる程度の音量、微音とまでは行かなくとも、普通に脳がスペクトル解析できる程度の音量。微音にすると聴覚が研ぎ澄まされ、新しい世界が見えたりするわけだが(爆音の逆)、日常的な音量のノイズっていうのはだめなんだろうか。


飛躍するけど、フィールド・レコーディングしたものをイコライザーなどで加工すると、非日常的な世界が垣間見える。「耳」というパーツは優秀なマイクロフォンで、生きていく上で必要な周波数帯の音をまんべんなくキャッチしている。常に。それを脳がフィルタリングしたりイコライジングしたり非常に複雑な演算をして聴いているのが普段の状態だ。


その同じ文脈上で違和感を抱かせる、というのがわたしの目指しているものの一つなのだが、その文脈で音楽に取り組んでいる人は意外と少ないような気がする。単に私が知らないだけなのかもしれないが。ただ、ネットの海を泳いでいても、音楽的に好きだけど何かそういうすごいものに突き当たることは滅多にない。


で、最初にそういう考え方におぼろげにたどり着いたのが、ネットでまったく偶然に発見したSachiko Mさんの試み。サイン波は倍音成分を持たないので、人の耳がもっとも敏感に感じる4kあたりの成分は含まれていないのだが、実は聴き取りにくい分音としてのパワーはかなり大きい。聞こえないと思ってボリュームを上げるとスピーカーが飛ぶこともある。日常的な音量なのに微音系みたいに聞こえるのはそういう理屈だ(こんなことを書くのはとても失礼なのだが、もう少しよいケーブルを使っていただけたら、と思うのはわたしくらいかもしれない。ご本人もミキサーは軽いから使っているけど音は良くないとおっしゃっていた。モディファイしてみたくなります)。


Sachiko Mさんのソロを初めて聴いたのは比較的最近のことなのだけど、やっぱりあれは音量が小さいのではなく、サイン波ゆえに聴き取りにくいのだと確信した。大きな会場でやっているときは、PAさんはかなり苦労しているはず。あれは実は爆音なのだ。


Sachiko M さんを知って間もなく聴きに行く機会があったのだが、何らかの事情で行けなかった。その代わりといってはあまりにも失礼だが、偶然出会ったのが吉田アミさん。わたしの隣に非常にキュートな――そう、非常にキュートな人が座っていて、ああ、なんかラッキー、とか思っていたら、その人が吉田アミさんなのだった。だからステージに上がっていったときは驚いた。だから、雨宮まみさんの気持ちも実はちょっといや、結構分かる。でも、吉田アミさんの音楽の方にすっかりやられてしまったので、わたしはそちらへ進みました。今思えば紙一重だったのかもしれない。


このブログで吉田アミさんの音楽を説明する気はないが、やはり日常的な音量での試みだとわたしは考えている。もちろん大きい会場での場合はPAを通さねばならないのはSachiko Mさんの場合と同じだが、それは単に空間が大きすぎるからで、必ずしもラウド指向ではないと考えている。


でも最近のSachiko Mさんはある意味ラウドな気もしている。だが基本は爆音ではないと感じている。


単純な意味でのメロディとかビートのない世界。歩けばグルーヴするかもしれないが、それを崩す。たとえてみるならiPodでご機嫌に歩いていて犬にかまれるとか。そういう世界へどうやったら行けるのか。


そもそもノイズ系を目指していたはずなのになんとなくアンビエント系になってしまっているし。しばらくは試行錯誤の日々を続けるしかないだろう。