吉田アミ『サマースプリング』太田出版 part one


いくつか前置きしておきたいことがある。今回の一連の文章を書きたくなったのは、「春から夏」のあいだに川上未映子吉田アミの小説あるいは<ノンフィクション>が発表されたことによる。わたしの中ではこの二人は球面状の二直線または点のような存在で、交わったり交わらなかったり接近したり遠ざかったり、接したりしているように見える。自分以外の誰かにこの見方を強制することはないし、賛同して貰いたいとも思わない。そこにはなんの根拠もないし、根拠は常に暫定的なものでしかない。書かれるものは時として支離滅裂、意味を取るのが困難であったり独断的なものであるかもしれないが、わたしが目指しているのはまさにそんなものであり、<批評>ではない。感想ではあるかもしれない。というのも基準を自分の中のことばに置くからである。読んでくださる方があれば幸いであるが、読者は自分以外想定していない。それほど価値のあるものであるとは思えないからだ。それでもできるだけ他の人に伝わるようなことばで書くつもりではいる。

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私自身、今ある種の絶望状態にある。というか、過去に何度も絶望状態に陥っているので珍しいことではない。精神的に、あるいは物理的に死線を潜ったことも何度かあるが、そんな友人はいくらでもいるので気に留めることでもないのだろう。


ただし、それは大人になってから、最低でも高校を卒業してから後の話であり、中学一年で八方塞がりになる、という経験は想像しがたい――と思っていたら、家庭はともかく、佐藤亜紀も書いていたが、学校というのはつまり旧ソ連矯正収容所なのであった。私の中学にも問題がなかったわけではないが、逃げ場はいくつもあたし、人権侵害以外の何ものでもない持ち物検査と服装検査――スカート丈や靴下は話に聞いていたが、下着の検査なんてセクシャルハラスメント、というよりも率直に犯罪だ。大人になれば一歳違おうが十歳違おうがあまり関係ない気がするのだが、教師だけでなく生徒を含めた学校という組織そのものがそのような構造を取っているので、そこでは絶対的な主従関係が発生する。


ちなみに私が中学の頃は、親しい先輩をからかったり一緒に遊んだりしていた。ありえねー、と思う人もいるかもしれないが、そんな感じだった。いじめもあったし私もあるひとりのやつから執拗にやられていたが、そいつがあるとき骨折して休んでいるうちにこちらが浮上してしまったのでいじめられることはなくなった。もっと始末の悪ヤツは私立に進学したり、中学ではクラスも違っていたのであまり関わらなかった。もし、今復讐してもいいといわれたら、もちろん骨折したヤツではなく、媚びを売っていい子にしていたヤツらだ。具体的には書かないが、あいつらは今でも許せない。


主人公の「アタシ」はそんな矯正収容所のような中学校に通い、「ハハ」と「ソボ」と三人で暮らしていた。「チチ」と「ハハ」は「アタシ」が小学2年の時に離婚した。理由は「チチ」の浮気ということになっている。


「ハハ」はブティックを経営していたが、「アタシ」が6年生の時に交通事故を起こし、それ以後定期的にリハビリに通っている。


たぶんそのころから家庭が崩壊し始めたのではないか。「ハハ」も「ソボ」も「キチガイ」で、後半で明かされるが精神分裂症(今では統合失調症)と診断されていて、なぜか二人交互におかしくなる。


1989年。昭和天皇の亡きがらを載せた車が近所をゆっくり通り過ぎた。ちょうどうちの真上を航空法違反かと思われるほどの低空で飛行船が追いかける。昭和が終わって平成。何も変わらない、と思っていたらいろいろ変わったような気がする。そんな春に「アタシ」は中学に入学した。こんなところに詰め込まれればみんなおかしくなる。そしておかしくならなければ生き残れない。矯正収容所での聡明な「アタシ」の地獄の日々はここから始まる。


そういえば1989年春、私は何をしていたか、途方に暮れていたような気がする。「アタシ」がその春から夏の終わりまでの地獄の季節を過ごした数年後、私も今までで生きてきた中で最悪の地獄の季節を過ごすことになる。


狂った学校と狂った家庭。「アタシ」はときどき助けてくれそうな大人に期待を掛けるが、必ず裏切られる。その度に絶望させられる。


「アタシ」自身の潔癖さについても書かれている。バランス感覚とかそういう問題ではないだろう。体力測定の日に休んだので、別のクラスの摂食障害の少女に対してはあからさまな嫌悪感を抱いている。というか、仲間と思われたくないと思っている。そう、「みんな」って誰なんだよ! そうは思っていたけど、私はこの摂食障害女に近い立場にいたが、同時に孤立系でもあった。


どこの誰だかわからない、だが「ハハ」あるいは「ソボ」の知っているらしい男にラブホテルに連れ込まれる。ごめん、わたしは中一の段階ではラブホの存在も知らなかったしセックスも知らなかったよ。ものすごく奥手だった、というよりもそういう情報に触れる機会もなかったし興味もなかった。「ハラジュク」はなんとか族が常にいてなんだかこわかったけど、「シンジュク」と「シブヤ」は普通に出かける場所だったので。


私の学校ではひと夏に三回くらいしかプールに入る機会がなかった。だから天気が悪かったり体調が悪かったり生理が来ていれば一回も入らずに済むこともある。どうやって採点していたのかは疑問。男女一緒だったか別々だったかは覚えていないが恐ろしく奥手だった私はいも荒いが嫌だとか、泳げないから嫌だとか、そのくらいのことしか考えていなかった。日焼けを気にするようになったのは高校くらいから。とても色白なので、正直真夏の太陽に耐えきれない。


成績表の協調性が「×」となっていたというのは、単にひとりでいるためなのだろう。群れていれば協調性があると思って成績を付けているとしたら教師は何を見ているのか。それが公平だとでも思っているのだろうか。


結局学校でうまくやっていくのはさんざん書かれているようにそれがどんなにばからしくて理不尽で人権侵害で憲法違反でも、その中で目立たないと言うことであり、それがその場所における処世術でもあるのかもしれない。収容所列島……


このままでは永遠に終わらないので、最初に戻ってから、後半を書くつもり。

不二家のプリンが入っていたペコちゃんのマグカップが、部屋の隅っこで、割れている。


不二家のプリンが「アタシ」のために買われる時代もあったということ。引っ越しの時に私の母親がおそらくは孫のために買ったと思われるカラフルな動物の模様の描かれたグラスセットが出てきて、使わないから処分しようとすると、片付けを手伝いに来てくれていた近所の小母さんに咎められた。結局引っ越し先に持ってきてあるが、使うあては今のところない。でも、ずっと持っているつもりでいる。