ガラスの破片と私


私はガラスの破片をそっと地面に置くと少し離れたところにある平べったいコンクリートに腰掛けた。ガラスの破片はわたしにあまりに多くのことを語りかけてくる。ここへ置いていって。連れて行って。あなたの頸動脈を切ってあげてもいい。光にかざすとキラキラしてきれい。わたしがこうなる前のことを覚えてる? いちばん最初、珪砂からガラスになったことをあなたは知らない。一年。ひと月。一週間。一日。一時間。一分。一秒。0.1秒。微分したところでわたしの経験があなたに伝わるわけではないし、時間って数学とか理科で習ったような、物差しみたいなものなの? 私はそれらの日々の中で何かを蓄え、今この姿でまたあなたにたいして違った態度を見せなくちゃならない。優しくすることもできるし、残酷にすることができる。でも、どんな態度が優しくて残酷なの? それはわたしの決めることじゃない。きっとあなたの決めることでもない。他の誰か。あなたはそういうのに疲れちゃったのね。わたしにできることは何もない。今のところ、あなたの置いたこの場所に居続けることだけ。でも五分後にはあなたはわたしを取り上げて角のところをコンクリートや煉瓦で削ってポケットの中にしまい込むかもしれないし、頸動脈切っちゃうかもしれない。いずれにしてもわたしは少し傷つく。角が欠けることによって、あるいは血を浴びることによって。それによってわたしは少し変わるけど、あなたはもっとおおきく変わる。わたしには何も決められないし、いずれにしても甘んじて受け入れるしかない。でもね、ひとつだけ覚えておいて欲しいのは、わたしにもガラスになってから今までの歴史があるということ。歴史っていうのは時間とは関係がない。たとえばあなたが一年前にわたしのことを洗ったときに落としたけど割れなかったこととか。ヒトの場合、人生っていうの? その点においてはあなたもわたしも何も変わらない。