男の子、女の子。


郷ひろみみたいだ、と思った人はマニアか年寄りでしょう。


えーと、これまでのプロジェクトはちょっと中断。あるいは中止するかも。『わたくし率 イン 歯ー、または世界』についても二回くらいでまとめようと思ったのだが、わたしの脳が付いていけないので、ひとこと感想とかそういう感じで。ポイント外したらごめんなさい、修行が足りませんでした、としかいいようがないんだけど。


えーと、今回は吉田アミさんがご自身のブログで書いていたこととちょっと関わります。
http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20070801/1185959524


私がこういう音楽もありなんだ、と思ったのは、ウェブでまったく偶然にSachiko Mさんのことを知ったときのこと。サイン波のみの音楽? すげー! ということでdebrisだったかな? をなんとかして手に入れました。Sinewave soloはその後手を尽くして探しましたが見つかりませんでした。どうやら今のところ、あるいは将来にわたって入手不可能なのかもしれません。


なんの予備知識もなく、いちおう定価で五十万弱のオーディオ装置で再生したわけですが、スピーカーが飛びそうだとか、実は近所に謎の音として壁抜けしていることがわかるようなもので、まったく飛躍しますが一度で虜になってしまったのです。


Sachiko M 情報を探しているうちにImprovised Music Japanのサイトにぶち当たり、創刊号を買ったのでした。付属CDは気に入るものもあり、そうでないのもあり。当たり前です。


まあそんなふうに手探りで雑誌に載ってるようなミュージシャンに興味を持ったり持たなかったり、その過程でぶつかったのが吉田アミさんだったりするのですが、オフサイトもそういうわけで存在は知っていたけど、残念ながらちょっと知るのが遅すぎて行く機会を逸しました。Bar Sachikoを見に、あるいは聴きに行きたかったのです(昨年ようやくその機会を得ましたが)


大友良英さんのこともその過程で知ったわけですが、まあだいたい音楽に限らず、こんな感じで興味あるものを探していくのが私のやり方です。


ちなみに周囲には誰も同じ音楽の趣味を共有する人がいないので、シーンなんて考えたこともなかったし、ライヴを見に行ったりすると、お客さんもみんな意外とばらばらだったりして、気楽でした。


で、ユリイカの大友さん特集で杉本さんが書いてらしたのを読んで、違和感を感じたのでした。杉本さんのことは何度かお見かけしているし、おっしゃることはわかるのですが、オフサイトの対談のSachiko Mさんの「批判を書こうが何をしようが、私はきれいに写ってる自分の写真と自分のことを褒め讃えている雑誌しか後世に残す気はないの」というひとことの前には(古くて申し訳ないが)ちゅどーん、と粉々に砕け散ってしまったような気がしているのです。言い換えれば負けてますと。


ここでこんなこと書けるのも、多くの無知と勘違いから来るのでしょう。それをリストアップしてもなんの意味もないのでしませんが、なんか、男の子的思考ってなんでもバックボーンと歴史的背景とか、要するに何かに依存しているんだけど、女の子(人)的思考というのは何にも依存していないので何を言っても崩せないんじゃないか、という気がしてます。


男の子的、女の子的、というのはあくまでも便宜的な物言いで、杉本さんやSachiko Mさんがそうだというのではありません。


あと、吉田アミさんが上記のエントリーで書いていることも、リアルタイムではまったく体験していないので一切知りません。音響とかなんとか、一度も考えたことはありません。
 

にしても、こんなこと書いて何か意味あるんだろうか。何かに寄与するんだろうか。いいや、しなくても。
 

追記:やっぱり吉田さんや大友さんを見てると、生き生きしていて、座敷牢にずっと閉じこめられていたわたしは好きなことをやる、というのに強く惹かれます。そこに持って行くのにもう少し時間がかかるけど、無理せずそうしていきたいと思ったのでした。