シンクロ


ニシティとは言うまい。吉田アミさんが2007/11/07の記事で有言実行率100%という恐ろしいことを書いているのだが、吉田さん自身でも74%はいけているという。エネルギー保存の法則から考えると、これはとんでもなく恐ろしいものである。たとえば外燃機関のエネルギー変換効率はたいてい10%以下だ。エネルギー変換効率50%を超えるものにはどんなものがあるんだろうか。検索すれば出て来るんだろうけどやめとく。わたしのエネルギーが尽きてしまうからだ。それにこのアナロジーはあんまり意味がない。


ここで吉田アミさんは次のように言う。

 技術の革新は創作のハードルを下げ続けるわけだけど、ふつうは一回でもやっちゃったら満足しちゃうものですが、今なんか、はじめることより続けることがとても難しい。こんな世界in2007年で10年以上馬車馬のように働き続ける働くっていうか生み続けるっていうかなんていうか、この業の深さ。仕事で割り切れるジャンルじゃないものってオモシロイよなーっ!時給計算できないつーか。したら全然なわけですよ。私だって四六時中なんか考えてるし何見ても読んでも体験しても「これネタに…」と頭が回る。そりゃあ自律神経もおかしくなる。体温調節めちゃくちゃ。ずっと微熱がひきません。これはずっと知恵熱ということだよな。知恵熱が下がりません。知恵はついてないのに。そしてどんどん忘れていく。バカになる。それでいい。


これはとてつもなく恐ろしいことである。わたしも十年以上続けていることはあるが(音楽じゃないよ。音楽は、ずっとお休みしていた)、やはり採算度外視である。その上いわゆるお金をもらえる仕事でも採算度外視で働いたら、壊れた。これははてなに書き始めるよりも前のことである。


わたしのことはどうでもいいのだが、上の引用箇所を読んでいて既視感にとらわれた。どっかで似たような文言を読んだような。というのはあくまでもレトリックの問題。

人には<絶対的に無理なんでないの>、というものに対してなぜか夢をみる力だけはあるわけで、個人がひっそりとそんな夢をみることには根拠はいらぬ。無理だとわかっていても、わたしには説明しがたい理想がある。説明しにくい実現したいことがある。たとえばわたしが埴谷雄高から学んだことはこの一点、「無理だとわかっていても、やるのとやらないのでは、やったほうがいいんであってね」。


これは川上未映子さんの2007/11/04の「そやかて夢を、みるのやも。」からの引用である。これもとても恐ろしい。共通するのは何かを実行することへの覚悟である。


なんでか知らんけど、わたしにはこの二人がときどきだぶるのである。きちんとその辺のことにカタを付けたいという気持ちもあるのだが、できずに今に至る。たぶんしなくてもいいのだろう。たんにわたしの中でリンクが生じるというだけでじゅうぶんなのではないか。探せばほかにも無理やりリンク可能な文言はむすうに存在するはずだ。重要なのは、わたしの中でこの二人の書くものがリンクしてしまうということに尽きる。