照れる

昨日『最後の戦犯』について書いたけど、ずいぶんつっけんどんな感じ。意識してそうした。というのも、わたしは感情移入過多で、ほんとのところぼろぼろ泣きながら見ていたからだ。


映画館でぼろ泣きして困ったときのように無理に強がってみせること。だってなんか恥ずかしいじゃん。何で恥ずかしいんだろう。面白い映画を見て笑いながら出てきても別に恥ずかしくないと思うのだけど、泣いて出てくると、恥ずかしい。なんでだろ?


テキストはそれなりに読んだり書いたりしているのでそれなりにカラクリも分かっているし、対処法も分かっているのだけど、映像作品とか音楽とか演劇とかは、うまくいかない。


『最後の戦犯』は、いろいろな問題提起をして、それを解決しないまま、最後まで進んでしまった。最後までなにひとつ解決しなかったといってもよい。戦争の愚かさや悲惨さというものよりも、むしろ「戦争」の連鎖が強調されていた。終わらない戦争。


それはそれとして、もっと単純な次元でドラマに乗せられてしまったような気がする。それはそれで悪いことではないだろう。ただ、なんだか知らないけど照れちゃうのだ。


……まだまだだな。(←何がw)