大友良英+青山泰知+伊藤隆之/YCAM Inter Lab+α『without records』@Vacant(原宿)

例によって体調を崩したり、お金がなかったり、その他諸々の事情であまり出歩いていなかったのだが、これだけは見ておかないと一生後悔しそうだったので、友人と待ち合わせて夕方から原宿へ。

今年になって原宿は二度目。あり得ない。あの辺にはあまり用事がないので。

友人を待っているうちにスッパンダに遭遇。黄色くて小さくて、可愛いけど、中に入ってる人はかなり小柄。標準的な女性も男性も直立して入るのは無理。写真は撮らなかったけど。そういうノリの悪さがわたしのよくないところなんだよね。干梅は貰ったけど。

しばらくして友人到着。すでにスッパンダは退却していたけど(夏場は地獄だよね、あれ)、干梅は配っていたので貰うように勧める。

それから竹下通りを通ってVacantへ。ちょうどバーゲンやっていて、信じられない価格でいろいろ手に入るのであった。アルバイト可能な女子高生か、年齢を気にしないゴスロリ女子なら1万もあればそこそこのものが手に入る。2万円もあったらすごいことに。

とりあえずわたしも友人もそういう年齢ではないし、同時に財布の中身がそのときとても乏しかったのでそれどころではなかったし、さらに妙に湿度が高かったりして(出掛けるときは雨が降っていたけど原宿駅に着いたら晴れていた)、体調も今ひとつになってしまっていた。

Vacantはちょっと分かりにくいところにあって、地図をプリントしていって正解だったかもしれない。夜だったらたどり着けないかもしれない。

ワンコイン500円というのはいくらなんでも安すぎるのではないでしょうか、という感じで料金を支払い(しかもその日のうちなら出入り自由!)、ドアを開けてもらって(なぜあのドアには取っ手とかそういうのが無いのでしょうか?)、くらい空間へと。階段を上ると最初はほとんどなにも見えない。荷物を入り口の近くに置かせてもらい、美しいポータブルプレーヤーの群れ(というのかな?)の中へ。

いちばん怖いのは転倒することだった。ので、細心の注意で。立ち止まったり、歩いたり、そしてどのプレーヤーも、とても美しいデザインをしていて、そこに不思議な仕掛けがしてあり、いろいろな音を出すのだった。

たぶん、どんな聴き方も許されると思うのだ。ひとつのプレーヤーに耳を傾けたり、会場の中心にたたずんだり、壁により掛かったり、座ったり(寝るのは控えましたけど)、いろいろ試しました。そして気まぐれのような、プログラムされたような、ランダムなような、規則正しいような、あるいはほとんど聞こえないような音に支配されたり。

しばらくそれを楽しんでから、ちょっと疲れたので休憩。休憩中にもうひとりの友人と合流、もう一度会場に戻ると、なんと大友さんが! いつもの感じでごく自然にそこにいらして。

あとでブログを見て知ったのだけど、音の出ていないものがあったそうで、それを調整しているところに立ち会ったのだが、一瞬にして音が生き返ったあの瞬間は、なんといったらいいのだろう、魔法? その場が一変するような経験。

そして先ほどよりも時間をかけてゆっくりといろいろな聴き方をして、友人のひとりが体力的限界、というところで撤退。

個々の体験としてしか捉えられない「展示」だと思うし、わたしには何かを書くだけの力はないけれども、ポータブルプレーヤーの機械としての魅力に始まって、展示の方法、出ている音(ターンテーブルやプレーヤーに何かの仕掛けがしてあって、それぞれ異なる音を出していて、しかもずっと回転し続けているわけでもなく、気まぐれみたいに3分の1回転、みたいな回り方をしたり、etc.)、そしてVacantという場の要素によって誰ひとりとして同じ体験をすることができない、座席がひとつ違ったからとかそういうレベルの話ではなく、誰もが同じ空間を共有し、展示を体験しながら、体験そのものは恐ろしく孤独なものであったと思うのだ。

孤独、というのは否定的な意味ではない。単純に、孤独。ひとりでいること。ターンテーブルの「森」の中を歩いていたことを思い返すと、そういうことではなかったのかなと。そしてそれは同時に至福の体験でもあるのだった。個人的見解だけど、至福はいつも孤独とお友達のような気がする。