about こぐまレンサ part 1


何か書きたいと思っていたけど、ずっと書けなかった。最初から完成した何かを提出しなければならないような気がしていたから。


でも、そんな必要もないんだ。たぶんもっと自由に書いていいはずなんだ。


そう思い直して、書けるところまで書いていく。part1と書いたけど、2で終わってしまうかもしれないが、それはそれでいいと思ってる。そんな感じで書いていきたい。たぶん今日は内容にまで到達しない。


わたしはまんがをあんまり読まないし、読むのが下手だ(しかし、まんが、という言葉をどのように表記するのがいちばんいいんだろうか。「漫画」というも、「マンガ」というのも、個人的に何か違うような気がする。気がするだけだ。でも気にはなるので「まんが」とひらがなで表記することが多い。今さら名前を変えるわけにもいかないだろうし(大小説、なんてのもあるくらいだからね)。むずかしい。とりあえずここでは「まんが」としておく。


そういうわたしなので、先達というか師匠が必要だ。ある分野の小説などであれば、本屋さんに行けば向こうから勝手に呼んでくる(巨大書店は、その意味では呼ばれすぎて気分が悪くなるので最近はあまり足を運ばない)。でもまんがはよく分からない。


ここ数年の間で自力で開拓したまんがといえば、『のだめカンタービレ』くらいのものかもしれない。それはちょっとした偶然による。書きたくないので書かないが。


それ以外は、「師匠」に教えてもらったまんがばかりだ。


「師匠」といってもまあいろいろなのだけど、たとえば今回話題にしようとしている『こぐまレンサ』を「教えてくれた」のは解説も書いている吉田アミさんだ。教えてくれた、といっても間接的なものなのだけど。『こぐまレンサ』に関していえば吉田アミさんの「日日ノ日キ」で「教えてもらった」。ほかにもたくさん教えてもらったのだけど、それらのうちいくつかを後日取り上げたいとは思っている。


ほかにも「師匠」はいる。基本的にネット知人・友人が多い。もうひとり、名前もブログも明かさないが、わたしにとってかなり重要なまんがをいくつも教えてくれた人がいる。その人には吉田さんと同じくらい感謝している。


あとは、過去においてずいぶんお世話になった人はいる。きょうだいとか。でも最近はちょっと趣味がずれて来ちゃったかもしれない。


でもまあそういう人たちのおかげで、それほど多くはないけど個人的にはとても重要なまんがに出会えてきたわけである。わたしが死んだら棺桶に入れて一緒に焼いて欲しいなんていわない。古本屋に売って欲しい。お金にはならないだろうけど。


さて、『こぐまレンサ』という不思議なタイトルも、ロクニシコージという漫画家(これはなぜか漢字の方が据わりがいい、個人的に)も、まったく知らなかった。絵柄もちょっと見には好きな方じゃないと思った。でもフランスパンを刀で突き刺している女の子(こぐま)に、何となく引き寄せられてしまったのだ。


そして読み始めていちばん最初の章を読んだところで思い切り後悔したのだった。いまのわたしの精神状態で耐えられる自信が木っ端微塵になってしまったからだ。


それは今世紀初頭に実際に起きた、ある重大な「事件(ほかになんといったらいいのか)」を思い起こさせた。そのこともまた耐え難いことに思えた。


でもそれ以上に「こぐま」のあり方が恐ろしかったのだ。


とりあえずここまで。実はまだ一度しか読んでいないのだ。二度読むにはかなりのパワーが必要そうなのでそのままになっているというのが現状だ。


でもこのまま書いてしまうかもしれない。それはそれでいいことにして欲しい。
 
 

年が明けた


書きたいことはいろいろあるのだが、体調が今ひとつで多少なりともまともなことを書く自信がない。いや、自信なんてなくたってどうせ読んでいるのは多くても数人なので気にすることもないのだが。


去年の年末、ライブに行った。アンダーグラウンド系。正直その方面には詳しくないのでレポートを書くのは差し控えるが、あのライブで恐ろしく体力を消耗したという事実がある。


あと、立ちっぱなしで数時間というのは今のところ体力的限界を超えている。おそらくこの正月ほとんど寝たきりだったのもそのせいだろう。


ライブがつまらなかったということではない。面白かった。すごくよかった。耳栓してたけど。


久しぶりに機材のことも書きたいし、あと、まんがのことをちょっとだけ書きたい。わたしが書かなくてもいいんだけど。極私的な観点からの感想、というかなんというか、そういうものになりそう。


旬のものとかではない。ただ書いておきたかったことを書いておこうかなと、そういうことだ。きちんとした論考ではなく、私的な何か。ネットの片隅にゴミが溜まっていたところで誰の迷惑にもならないだろう。好きな作品を好きかもしれないと告白するだけのことなのだから。


でも少しだけ勇気がいるかもしれない。書いてみないとわからないけど。
 
 

mirror balls 2008/12/11@Red Croth(新宿)

ミラーボールズは名古屋のアコースティック・デュオ……には違いないが、何か違う。ボーカル担当の北脇恵子もギター専門の森真二も二人ともアコギを抱えているのは間違いない。PU付いてるけど。でもたとえばサイモン&ガーファンクル(ずいぶん古いな……)のようなものを想像してしまうとかなり違うような気がする。


さて、ライブは新宿レッドクロスで行われた。初めて行く場所。新宿駅から歩いたら二十分以上かかりそうな気がする。歌舞伎町の東。


対バンはMontelimaとマーガレットズロースというバンド。どちらも男子三人スリーピース、基本的にギターがボーカル、あとベースとドラムス。マーガレットズロースはみんな歌ってたけど。


Montelimaは微妙にサイケ入った音を出すバンド。ギターの人は、ワウとかルーパーとかディレイとかそれを発振させたりとかいろいろしていた。で、それをリズムセクションが支える感じ。ギターはストラト


マーガレットズロースは、もっとストレートなロックンロールという感じ。ギターはセミアコ。元気いっぱい。


たぶんファンの人がよい感想とかレビューを書いてくれてるはずなので、そちらを参照されたし。どちらも始めて見るバンドだけど、何かを見に行くと対バンというのが必ずあるわけで、そうするといろいろな音楽に触れられて、幅が広がっていい。


あとやっぱりラウドな音というのがいいよね。レッドクロスは音響はかなりよいのではないのかな。狭いしラウドなんだけど、店を出る頃には一時的な難聴状態は解消している。PAの人の腕がいいのかもしれない。


最後がミラーボールズだったんだけど、エレクトリックなバンドのあとなのに、音が弱いとか小さいとかそういう感じは少しもしなくて。アコギの鳴りがものすごい。


そして歌詞がまたよいのだ。声もいいし。だるくて熱い、みたいな歌唱。


今回のライブはCD発売記念ツアーなのだけど、東京でほぼ最後らしくて。なかなか強烈なテンションで、うまく言えないのだけど、そう、大事なことはいつもうまく言えないのだけど、すごかった。MCで、直前にレバーを食べてきましたとか言ってたけど、最後にはちょっと後悔しましたみたいなことを言ってた。ライブの直前に何を食べるかって、難しそう。


この前も書いたけど、ずっと体調不調できているので、ミラーボールズの頃にはかなり疲労していたのだけど、それでも半ばトリップするみたいな感じで聴いてた。そいえば、CDまだ全部聴いてないんだよね。でもライブ、いい。また東京でもやるらしい。元気だったら聴きに行きたい。


何となくだけど、東京以外から出てくるバンドの方が個性的である確率が高いような気がするのは、東京には何でもありすぎるからなのかもしれない。


この記事で少しでも興味を持ってもらえたら、CD買って聴いてみてください。


mirror balls
http://www.geocities.jp/siberiarock/
 
 

『いざ最低の方へ』川上未映子、ユリイカ 2008年12月号


こないだ読んだ本に、孫引きとして「詩は改行だ」という、何とも潔い、あっさりした定義(?)が書いてあった。そうかもしれない、と思った。でも本当のところはよく分からなかった。というのも、わたしは「詩」というものがいまだによく分かっていないからだ。小説だってそうなのだ、ほんとうは。ただ、確からしいのは、どちらもことばで書かれているということ、詩は突き詰めていくと形式になってしまうらしいこと、小説は細部の集積になってしまうらしいということだった。これはどちらも構造に関することであって、どんなことが書かれていることとは違った平面(といういいかたをしていいのだろうか?)で語られる問題なのだろう。


話は飛ぶが、いま、とってもお金がない。本屋さんへ行って文庫本を手にとってため息をつくばかりである。イザベラ・バードがの日本紀行の正式版がいつの間にか学術文庫ででていたのだが、二冊合わせると三千円くらいだ。ちょっと待ってくれ、といいたい。


でも学術文庫とか文芸文庫ではこういうことは珍しくないし、絶版を考えるといずれ手に入れておくべき何だろう。


ユリイカ」はとても好きな雑誌のひとつだが、場所とお金の問題で毎月は買わない。ときどき買うだけ。古本になってもその手の古書店では値下がりしないので、欲しいものは絶対に買っておくべきなのだ。今回の特集は母娘問題なのだが、個人的に、いまあまり考えたくない。以下省略……青土社さん、お金のあるときに買わせていただきますので勘弁してくださいm(__)m


ということで手元にテキストがない。なんということだろうか。本になったら買わせていただきます……


最初に戻るけど、詩が改行なのだとしたら、この『いざ最低の方へ』はどういうものなのだろうか。ぱっと見れば分かることだが、改行は極端に少ない。ちょっとした小説よりも少ない。まったく改行のないページが二ページくらい続いたりする。これはどうしたことか。


どうということもない。改行をしないことも改行をするということだからだ。煮物をしている女がでてきて胸の痛みを感じてなにやら不思議なことになるのだが(初期村上春樹を柔らかくしたみたいな……ダリの時計みたいに)、書かれていることとわたしたちがユリイカの紙面に見てしまう文字が呼応してしまったりする。60年代の生き残りから見たらサイケデリック、ともみえるかもしれない(わたしはそんなに歳を取っていないが、サイケだとは思わないでもなかった……そういうふうにわたしのアタマができているからだろう)。


たぶんわたしが書いたらいいだろうということはこのくらいだ。ああもうひとつ忘れていけないことは、このテキストを読んでいた時間が至福であったということ。


何を読んでも至福な人は、不幸だ。おそらく。


あと念のために付け加えておくけど、これは批評でも何でもなくて、わたしがこのテキストを読んだ感想以外のものではない、ということ。本当はもっと批評があった方がいいと思うのだけど、あまりに眩しいテキストを批評することは、わたしにはできない。
 
  

太平洋戦争

大東亜戦争、と日本は呼んでいたはずだ。第二次世界大戦のひとつの局面に過ぎない。ヨーロッパではもっと前に始まっていたし、中国との泥沼の戦争はそのもっと前から始まっていたから。めんどくさいから調べないけど、米英に対して宣戦布告したのではなかったのかな。


パールハーバー奇襲と宣戦布告の電文にかんしてはいろいろあるみたいだけど、それも割愛。ネットで調べてみてから図書館に足を運ぶといいかもしれない。あるいは英語の読める人ならネットだけでもそれなりに公平な立場でものごとをみることができるかもしれない。


昨日がその日だったのだが(12月8日。ジョン・レノンの命日でもある)、そういう日付にあまりこだわらなくなりつつあるようだ。宣戦布告をした日よりも終結した日の方が重要なのかもしれない。


日中戦争第二次世界大戦に含まれるというのはあまり聞いたことがない。ということは、第二次世界大戦というのは結局のところヨーロッパ(含む旧ソ連)とアメリカが、どこかの勢力と戦った、というものなのかもしれない。


何が言いたいわけでもないけど、12月8日がパールハーバーでもジョン・レノンでも語られなくなってきたなあと。ジョン・レノンが死んでから28年。だいたい四十歳だったはずだから。生きていれば七十近いのか。


もっと恐ろしいことに、2010年までに1年と1ヶ月を切った。
 
 

おっかけ

夏前から体調を崩して、何をしてもだめ、という状況が続いているような気がする。秋になってもだめで、あれもこれもできない、という状態は相変わらずだ。


なんといっても出掛けるのがきつくて、ライブやイベントになかなか足を運べないことが多くて。たまたま予定が重なる、ということもあったのだが、とにかく残念なのが、秋以降吉田アミさんのライブやイベントにぜんぜん行けていないということだ。つい数日前も機会はあったのに。でもその後体調崩してらしたので、当日も不調だったのではないだろうか。


仕方ないので来年に繋ごうかと。今年もだけど、なんか夏が突然冬になるみたいな感じで、ほんとに快適な日って二週間くらいしかなかったような気がする。


これからもっと寒くなるけど、体鍛えなくちゃと思う。どうしたら鍛えられるんだろう? 脳味噌逝かれちゃってるし。歩くところから始めるしかないんだろうな。吉田さんだけじゃなくて行きたいライブたくさんあるのに。お金の問題は別として、とにかく動けないことにはどうにもならない。昨日もパスしちゃったし。実際動けなかった。


このまま脳の欲求に従っていると太って体力なくなるだけなので、毎日の運動を心がけたい。とりあえずひと月。無理しすぎないように。