照れる

昨日『最後の戦犯』について書いたけど、ずいぶんつっけんどんな感じ。意識してそうした。というのも、わたしは感情移入過多で、ほんとのところぼろぼろ泣きながら見ていたからだ。


映画館でぼろ泣きして困ったときのように無理に強がってみせること。だってなんか恥ずかしいじゃん。何で恥ずかしいんだろう。面白い映画を見て笑いながら出てきても別に恥ずかしくないと思うのだけど、泣いて出てくると、恥ずかしい。なんでだろ?


テキストはそれなりに読んだり書いたりしているのでそれなりにカラクリも分かっているし、対処法も分かっているのだけど、映像作品とか音楽とか演劇とかは、うまくいかない。


『最後の戦犯』は、いろいろな問題提起をして、それを解決しないまま、最後まで進んでしまった。最後までなにひとつ解決しなかったといってもよい。戦争の愚かさや悲惨さというものよりも、むしろ「戦争」の連鎖が強調されていた。終わらない戦争。


それはそれとして、もっと単純な次元でドラマに乗せられてしまったような気がする。それはそれで悪いことではないだろう。ただ、なんだか知らないけど照れちゃうのだ。


……まだまだだな。(←何がw)
 
 

NHKスペシャル 特集ドラマ『最後の戦犯』2008/12/07 21:00〜22:30 NHK総合テレビ


大友良英さんが音楽をやっているというので見てしまった。見てしまった、というのは普段テレビなど見ないので、テレビを発掘するところから始めなければならなかったからだ。いや、それならもっと積極的な言い方をしなくちゃいけないような気がするけど、いいんだ。


NHKのこの手のドラマは、役者さんをアホにしないので好きだ。つまりその役者さんが他の場面すなわち日常生活とか夕刊紙とかでどのようにもてはやされているとか干されているとか落ちぶれているとかそういうこととは無関係に製作されている、ということだ。


物語は終戦五日前に米軍の捕虜を上官の命令により処刑した主人公とその家族が戦後の一時期をどのように過ごさざるを得なかったか、というもの。ポイントは、この主人公が実在人物をモデルとしていて、その人が膨大な手記を残していた、ということだ。その手記と、それを元にした小説(?:未確認)をもとに丁寧に作られている。


あらすじなどを知りたい方は他を参照されたし。


こういうドラマはすでにたくさん見てきているので、あまり書くことはないのだが、進駐軍に対する突き放した、ほとんど他者のような描き方に対して、警察官に対する描き方が少し不公平ではないかと思った。なにか、突出して悪者にされているような気がした。彼らだっていわば「処刑」を行った主人公と立場は意外と近いのではないのか。一時間半のドラマにそこまで求めるのは酷だろうか。酷かもしれない。


さて、大友良英さんの音楽だけど、去年の『鬼太郎』とはずいぶん違った感じに仕上がっていた。というか、おそらくかなり注意して効いていなければ音楽があったことにさえ気付かなかったかもしれないというほど、限りなく背後の音楽であったように思えた。


でも、もしあの音楽がなかったら、ぜんぜん印象が変わっていたはずなのだ。


わたしは映画やドラマの音楽というのが苦手なのだが、これで通るのならば世の中すべての映像に付ける音楽を大友さんにお願いしたいくらいだ。カヒミさんの声が、ほとんど他の楽音とシームレスになるあたりは、泣きたくなるほど美しいものでありました。


うん、これは単なる感想です。批評を書きたくないということでもなくて、批評をする能力がないということもあるのだけど、それとは別に、何となく最近批評というものがとても可愛そうな立場にあるような気がして、できれば救ってあげたいのだけど、いまはちょっと無理というか。


批評って、もちろん作品をくさすことではなくて、指針を示すことなんだろうと思うのだ。ヴァレリーがどこかに書いていたような気がするんだけど、あなたにお薦めの本はこれですよと提示すること、ただしそれは直感的なものではなくて、きちんと読み解いてみせてやることによって始めてなされ得るのだ、たぶん。


うーむ、偉そうなことを書いてしまった。グレッチで打って。
 
 

川上未映子講演会 2008/11/15@日本大学法学部本館3階大講堂

この先しばらく講演会はないということなので(ないわけではないのだが、ご本人自身を語る、というものはいまのところ企画されていないはず)、万難を排して(というほど難があったわけでもないが、そこそこの難はあった)出掛けた。


なんかぎりぎりに到着したのだけど、思ったよりも人が少なくてちょっとがっかり。それほど宣伝していなかったからかもしれない。たぶん法学部の学生さんがいちばん多かったのかもしれなくて、あとは近所の経済学部とか、ほかにもいろいろ大学はあるし、あと、明らかに地元の人、それからまあファンの人、という具合かと。


司会・進行をされたのは、よく知らないけどアナウンサーの方だとか。


未映子さん登場。って、こんな書き方でいいんだろうか、と最近ときどき思わないでもないけど、そう呼んでいた時代が長かったので、今回もそれで行かせていただく。


トークショーなどにもときどき足を運んでいたりするわけだが、最初の頃はわりとなにかノートみたいなものを用意していらしたように思うのだけど、だんだんそれがなくなり、最近では手ぶら、みたいな。持ち物はテーマだけ、みたいな。といってもそれさえもほんとうは持ち物ではなくて、ある種の方向付けみたいなものでしかないのだけど。


看板にテーマが書かれていたな。横断幕じゃないんだよね。でも看板というのも変な気がするけど、講演会をやったりするときに後ろにつり下げられている板のことをなんていうんだろう?


まああれに表現がどうのこうのということが書かれていたのだけど、メモしてこなかったので忘れてしまった。今回は筆記用具を持っていったのだけど、こちらもむしろその場で話されていることばに集中するので手一杯、というのもあったけどその方が圧倒的に面白いしで、いつものごとくただ座って話を聞いていた。だからまたここから先は断片的だし、順序なども前後するが、そもそも未映子さんのしゃべっていらした話も実は行ったり来たり行ったり来たりだったし、そういうものだし、それに後半は質疑応答で、しかもかなりルーズな形での(もちろんいい意味で)やり方に終始したので、講演会としての形式はどんどん崩れていったが、ますます白熱して予想どおり時間をかなり過ぎた。結局ある時点での質問者が出尽くしたところで終了という形式。もちろん何の問題もない。最後に花束贈呈。


・正確なことばは思い出せないが、ひとつのあり方としての理想は村上春樹氏だという。どういうことかといえば、いわゆる純文学の小説を書いているのだけれども、よりたくさんの人々にそのことばが届くような方法で書いていると言うこと。


・哲学と「哲学的」の違い。哲学は感情などが入り込む隙間がないが(むしろ論理学や科学に近いだろう)、「哲学的」はそうではない。故・池田晶子氏などのやりかたは「哲学的」であったと思う。そしてご自身の書かれているものは当然の帰結として文学なのだから、哲学ではなく「哲学的」なものであらざるを得ない、ということ。なんて読みにくいんだ。申し訳ない。


・哲学のことばに形而上と形而下というのがあるが、形而中のところで書いているのではないのか(だっけ?)。


・「閉まっている窓はこれ以上閉まらない」と言うような人にひどく惹かれる。それはすなわち哲学の仕事でもある。


・「なぜ人を殺してはいけないのか」というと大きな問題になりすぎて考えにくくなってしまうので、「なぜ銭湯の中でおしっこをしてはいけないのか」と置き換えて考えてみることにより、わたしたちの生きている「世界」の規則の存在を顕在化できないかと考えてみた。すなわちそれらは単なる規則であり根拠がないということ。ルールの無根拠性。


・選択の余地のなさ。わたしたちは生まれてから死ぬまでほとんど何かを選択する余地がない。そもそも生まれるか否かを選択できなかった(ここで芥川の『河童』を思いだしてしまったのはいうまでもない。そして、死さえも体験できない(臨死体験はできるけど、死は誰にも体験できない)。


・違和感。これはどれと繋がっていたのだっけ……というくらいにリンクしていたような気がする。


未映子さんが東京でいちばん好きな場所は、たまたま講演会をした場所の近所なのだが、何となく書きたくないので書かないでおく。


・『乳と卵』における卵のぶつけ合いの、卵の持つ意味は、むしろぶつけるといったらやっぱり坊ちゃんでもそうであるように、卵だろうとのことでありました。


・『そらすこん』がウェブではなく本として存在していることの意味。未映子さんのほかの小説と同時に存在して参照可能であるということ。


(11月17日加筆)
 
 

『わたしが子供だったころ 川上未映子』NHK総合10月12日(日)24:30〜25:14

この番組は、いろいろな人の子供時代をドラマを交えながら本人に語ってもらうというものらしいのだけど、初めて見るので毎回必ずそのようになっているのかどうかまではわからない。


そもそもBSハイビジョン(だっけ?)の番組らしいのだけど、うちではNHKとそのような契約はしていないし、契約などしていなくても見てしまえ、と考えたとしても、そのような機器などないのであった。いわゆる地上波アナログ放送しか見ることができないのだ。画面を見ていると常に右上に「アナログ」という表示が出ているのは何となくもの悲しいが、よいことにする。テレビも地上波デジタルになっても買い換えない。滅多に見ないので、必要ないのだ。今のテレビ、もうずいぶん昔の、14インチブラウン管テレビで、でも最終形態であるところのフラット画面なのであった。音声はモノラルだけど。テレビの音なんて聞こえればいい、くらいにしか考えていなかったので。今もそうだけど。


その番組が、ようやく地上波アナログに回ってきたというわけだ。画面の中は真夏。未映子さんの着てらした深紅というよりもバーミリオンと黒のコントラストが素敵でありました。あと、黒い日傘も。


昔住んでいた場所とかを尋ねていくのだけど、それを説明するようなかたちでドラマが挿入される。再現ドラマ? 慎ましやかなNHKらしい。でもとても丁寧なつくりで、ぼろ泣きしてしまった。オマエ、そこ泣くところと違うだろ? と自分にツッコミ入れるんだけど、ドラマとか映画の多くというかほとんどは視覚と聴覚の両方から攻めてきてとってもずるいと思うんだけど、ただでさえ感情移入過多(すげー詰まらないと思いながら見ているドラマでも、マインドダイブしてしまうのである)であるので、苛つかされない限りにおいて、ついそうなってしまうのである。


演出過剰は、それでも冷めちゃうけどね。


んー、あと、未映子さんが暑い中、汗をハンカチで抑えながらしゃべっているのにもなんというかぐっと来てしまうのでありました。つーか、同時に、わたしってなんてバカなの? とか思ったりして。未映子さんが子供と一緒に遊ぶのがしんどいみたいなことをおっしゃっていたのだけど(大人になってみると、何が面白かったのか分からない、面白いと思わないでいることを子供に気取られてプライドを傷つけるのではないかという恐れ)、わたしなんかは子供と一緒に遊べてしまう……(-_-; しかも楽しく(-_-; もうこの時点でだめなんじゃないかという気がしてならないのであった。


番組の最初のところでライブの映像が流れて、テロップで経歴が紹介されるのだけど、歌手としては売れない、見たいに出てくるんだけど、あの素晴らしい歌唱の下にそれはないだろ? と一瞬突っ込みを入れてしまった。というか、あれを見て好みとかはまた別として、すごいと思わないとしたら、それはいったいどういうことなのか、わたしにはちょっと見当が付かないのであった。どうしてわからないの、と思わず思ってしまったのは、わたしとしては仕方のないことなのでありました。
 
 

すっかり放置していたわけだが

何もしていなかったというわけでもない。ただし、体調もよくなかったし、書くのがひどく億劫だったというのもある。それでもまあひどく難儀なプロジェクトを平行していくつか進めている。ひとつはなしのつぶてだが。ここに書けるものもあるし、書けないものもある。書けるものに関してはそのうち書くだろう。


機材に関しては、ギターを一本手に入れた。これは今後改造される予定。自分じゃできない部分が大きいので、その部分に関しては人様にお任せする。


機材もいくつか手に入れているが、何となくレビュー書くのが億劫というか、わたしが書いても意味ないだろ? Harmony Centralに行けば? みたいなところがあって。だってわたしが使う使い方って明らかに一般的ではないので、あまり役に立たないというか。


そいえば先日初めて音楽スタジオに入った。そう、この有様なのだ。機材ヲタだけど、スタジオなんて入ったことないのだ。宅録オンリー。だから、「ギター→(エフェクター)→アンプ(キャビネット)」みたいな音が標準、という感覚はない。むしろギターをラインで録って何が悪い? というのが基本だったりする。だから、アンシミュの類は意外と邪魔なのだ。クリーンな、強いていえばJCとかフェンダー系(よく知らないけど)の音がすればOK、みたいな。でもOrangeのアンプヘッド持ってるけどな。プリアンプとしてしか使ってないけど(アッテネーターでラインにまで落として使っている。恐ろしく邪道だが、本人がよければそれでよしなのだ。だいたい録音したものを聴いても、ラインで途中にディストーション一個噛ませただけのものでも誰も文句言わなかったしね。そんなもんでしょ)。まあ、ライブやるとなるといろいろなんだろうけど、別にコピーをする気はないので、「その音は……」なんてことは言わせない。もちろん機材を破壊するかどうか、という意味では別だが。


ライブとか、ぜんぜん行ってません。行くだけのパワーがないです。今日明日あたりは美味しいメニューてんこ盛りなのだけど、大友さんのアジアンミーティングフェスも、長時間過ぎてちょっと無理であります。一部だけ見てもいいのかもしれないけど、もったいなさ過ぎる。で、そのあと一週間くらい寝込みそうなので、ちょっと無理かなと。最近そんなのばっかり。悔しい。
 
 

germanium wave 更新


……といってもここを定期的に巡回しているらしい人はほとんどいないので、あまり意味がないかもしれない。キーワードに引っかかる人名などに言及すれば、たとえば失礼ながら吉田○ミさん(ここでは飛んできていただくと失礼なので、引っかからないようにした。吉田さんにしたのは、たぶんいちばん言及している回数が多いからだ。そういえば、先日古いSugar Cubesのライブの模様をYouTubeで見たら、ビョークが誰かにそっくりだな、と思って、それが吉田さんだったりしたのだった。声とかそういうのは別にして、ルックスが。せっかくあんなにキュートなのに、これもまた失礼ながらあまりよい写真が出回っていなくて、誰か私家版の写真集を作ったらいいような気がしなくもないのだった。これもまた失礼なのだが、雨宮さんにも喜んでいただけるのではないかと思われる。CDケースに収まるようなパッケージにするなら、元は取れないだろうけど、誰か写真をまともに撮れる人さえいれば(プロカメラマンということになるのかな)、フォトショップまでの作業をお願いして、あとはそこそこのインクジェットプリンターと高画質対応のプリンタ用紙さえあれば、可能なのである)の名前を出せば、本人がいらっしゃるかもしれないし、ファンの方がいらっしゃるかもしれない。でもキーワードに引っかからないような人名やその他あらゆることばを書いたとしても、読者はきわめて限られたままだろうし、実はそれで構わないのである。だいたい知らない人の日記だのレビューなんて、よほどでなければ読みに行かない。芸能人だろうとなんだろうと。あと、あまりに頻繁に更新されるとめんどくさくなる中川某さんのブログも一時期は結構読んでいたのだが、意外とエネルギーを吸い取られる感じがして、最近は見に行っていない。


ここまでが前置きだ。長い。さて、本文は短い。わたしのやってる音楽系サイト、germanium waveを更新した。初めて音源を載せてみた。あと、トップページが一枚余計にあったのだが鬱陶しいので撤去した。しかし、カウンターを見たら、何人かに知らせたのに誰も見に来てない!! まあ、世の中そんなものさ……
 
 

しばらく更新していないが


死んだりしているわけではない。瀕死ではあるが。端的に言って、暑さで何かを書く気が起こらないのと、ネタがない、ということに尽きる。テキスト系ではここで取り上げるようなものは読んでいないし、メカ系はパソコンの内部換装以後、秘密裏に勧めているいくつかのプロジェクトくらいしかないので、書けない。VooDooはどこかに埋まっているし、暑くて解体する気力がない。


そういえば換装したグラボはASUSのEAH3650 SILENTというやつで、ファンレスの代わりに巨大なヒートシンクが付いている。内蔵メモリは1Gだが、フルに使っているのかどうかはわからない。それほどパワーのあるチップでもないので(たぶん)、いくつかの処理を同時に行うと内部のファンの回転数が速くなる。


にしても、今回はファンが止まるということはないな。ケースの問題やエアフローの問題もあるかもしれない。でもまあとりあえず安定して動作している。


XP SP3の導入はまだためらっている。というのも、いまマシンに不具合がでると非常に困るので、余計なことはしたくないのだ。


しかし、このグラボ、もしかしたらvistaに最適化されているとか。でもなあ、vistaにしてしまうと不都合がでる可能性のあるソフトを何本か抱えているので、このままだなあ。


エフェクターの修理なんかもしたいが、暑くてだめだなあ。